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社会現象となった映画『ジョーカー』
ジョーカーは上映期間に2回、自宅で10回以上は見てるほど、気に入ってる映画です。
決して明るい映画でも、人に大絶賛して薦められる映画でもないのですが、どこか魅力を感じてしまいます。
近日公開予定のジョーカー2に合わせて最近近所の映画館でIMAX再上映がやっていたので観に行きました。
今回は映画ジョーカーのレビューとまではいかないのですが、統合失調症を患う私がジョーカーについて巷で考察される全てアーサー(ジョーカー)の妄想説について記事にします。
※ネタバレを含まれます
・願望の想像的な妄想(空想)と体感する妄想(幻覚)
芸能人になりたいわけではないけど、有名人になりたい願望がややあった私は、劇中冒頭のアーサーのようにいいとものテレフォンショッキングでタモリさんに話を振られる妄想や、徹子の部屋に出て徹子さんに「あーた」と呼ばれる妄想をしたことあります。(大昔の話です笑)
こちらの妄想は願望の想像的な妄想、空想です。
おそらく、というより間違いなく健常者の方もこうした妄想をしたことある人は多いと思います。
一方、アーサーはシングルマザーのソフィーと恋仲になりますが、こちらは幻覚的な体感した妄想でした。
その一連の流れを妄想と説明するシーンは下手なホラーより恐怖を私は感じました。
私自身はあのような実際に視覚で判断できるほど、そして、その幻覚の人と会話をするというのは今まで体感したことはないです。
しかし、以前ブログでも記述したテレビを通しての幻覚、妄想はありました。↓
その願望の妄想と、体感する妄想の違いを踏まえて次の説を否定したいです。
・全てアーサーの妄想説に意を唱える
レビューなどで、実は全てアーサーの妄想という説をよく見かけました。
公開当初は自分もその説も面白いな思いましたが、1人の統合失調症の人間として意を唱えます。
妄想の中の妄想
仮に完全なる空想である。というならば、可能性はあるかもしれません。
ただ、冒頭のアーサーの願望の空想、マレー・フランクリン・ショーの客席にいて司会のマレーに気に入られる。という言ってしまえばかなり陳腐な、かなり都合のいい願望の妄想をしているアーサーが、コメディショーで滑りまくりそれを敬愛するマレーにコケにされるという空想はしないと思います。あくまで私の考えですが…。
では脳が誤認する妄想、体感する妄想、いわば幻覚だったら?
上記のシングルマザーのソフィーと恋仲になったのは妄想だったとアーサーは理解し、悲しみながらも持病で笑いが止まりませんでした。
体感する妄想の世界でその出来事は妄想だと判断することはできるのかは不明ですが、私はできないのでは無いかと考えています。
つまり、妄想の世界で妄想を見る…、そしてそれを妄想と認識する…。
少なくとも私自身は体験したことはありません。
ちょっと根拠として弱いかもしれませんが、あくまで私の一意見としてご理解ください。
続編でもしかしたら答え合わせがあるかもしれませんね。
これはどうでもいいのですが劇場で見終わったあと、とてつもなくタバコが吸いたくなりました笑