退院しても恋人が欲しいのは贅沢で、友達はおろか、知り合いすらいなかった時の苦しみの日々①

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どうもヤニドレイです。

またまたお久しぶりの更新となりました。

今日は最初の退院後の生活について記事にしたいと思います。

なんかラノベのタイトルみたいな感じですが…

私は2012年の2月の中頃に医療保護入院という形で入院し、同年の9月に退院しました。

半年以上病院で入院生活を送っていました。

入院中は病棟で知り合った人と仲良くなり、それまで引きこもり同然の自称浪人生だった私からしてみれば小さいですが社会の接点でした。

小学生もいれば、私と同じくらいの年齢(20代)の男女。中年の男性や、私の祖父母ほどの年齢の人たち。

そうした人たちと接していて、家にこもっていたら当然体験できない他人との会話、言ってみれば世間話、もちろんトラブルも含めて貴重な体験だと思いました。

他の患者さんと仲良くなるにつれて(ここでは知り合いがたくさんいるけど、退院したら外でやっていけるかな…)と不安になりました。

発症期には書きませんでしたが、私は中学時代に不登校で、高校は通信制に通いました。

高校では同級生と呼べる存在がいないまま卒業しました。

同級生がおらず、地元の友達もいない。タイトル通り知り合いがいない状態でした。

その後、医師から退院日を告げられ、無事退院となりましたが私はどこか浮かない顔をしていました。

上記の心配が現実となり、半年ほど悩まされました。

退院後は病院のケースワーカーの方に地元に近い精神科(入院した所と違う病院)のデイケアを勧められました。

デイケアとは精神障害者の社会復帰を目的とした通所施設です。

最初はそちらに通いました。ただそこで「知り合いが一人も居ないので作りたい」と最初の面談で職員の方に伝えたら、職員の方は「ここは申し訳ないけど、連絡先の交換とかは禁止なんですよ…」っと言葉を選ぶように返されました。

デイケアのプログラム自体に不満はありませんでした。むしろ楽しかったです。陶芸にパソコン、英会話など。

ただ電車で一人でデイケアまで行き、一人でデイケアから家に帰る。デイケアのない日は悶々と一人で過ごして、駅や街中にいる男女のカップル、男友達の集団を見ると、自分の孤独感が増しました。

(また入院すれば、入院患者の人たちに会えるかも、知り合いも作れるかも…)そんなことも考えていました。

そこでデイケアを入院していた病院の系列のクリニックに変えました。

ただ、ここではグループが既にできていて、全く馴染めずにいました。

↓その時の話をradiotalkで喋っています。※愚痴多めです

第四回(四錠)退院後の精神科デイケアと野望
無事退院したヤニドレイ。退院後精神科デイケアに入った話。それと野望。 ※第三話を諸事情により削除しました #精神障害 #ひとり語り #ヤニドレイ

シリーズものにしたいので今日はこの辺で〜



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