退院しても恋人が欲しいのは贅沢で、友達はおろか、知り合いすらいなかった時の苦しみの日々②

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どうもヤニドレイです。

梅雨が観測史上最短で明けて、暑い日が続いています。

今回は前回の続きの退院後の知り合いがほぼいない日々の話をします。

前回↓

結果的にデイケアを変え、入院していた病院と同じ系列のクリニックに通いました。

ただ、当時社交的ではなかった自分の性格もあり、馴染めずに通うのが億劫になりました。

段々とデイケアを休みがちになってしまい、ふと(また入院したい…)と思うようになっていました。

デイケア以外には、地元の地域活動支援センターにも通いましたが、通所しても置いてある新聞を読んだり、携帯を見たり地域活動支援センターに行っても人と話さずにただ通うだけの日々でした。

その後デイケアもやめ、外に出るのも面倒くさくなり、家にいる時間が多くなりました。

ただ家では、気晴らしにあることに熱中していました。

それは父親が自分が生まれる前(30年前)に買った、オーダーメイドのボロボロのロードバイクを補修することでした。

分解して、ネットで見よう見まねで塗装を剥離し、そして色を塗り、パーツを取り寄せ組み立てました。

おおよそ半年以上かけたと思います。

ロードバイクが完成して、乗りたくなったので家を出て県内の様々な所へツーリングへ出かけました。

その結果、段々と体調と自分に自信がついたのか、地域活動支援センターでも人と話せるようになりました。

そして、主治医から勧められたニートや引きこもりの若者が集まるような施設を紹介されて通い、同い年ぐらいの方達と仲良くなりました。

そこで生まれて初めて飲み会というものを体験しました。

退院後すぐ、LINEは家族しか連絡先はありませんでしたが、徐々に増えていき退院後の悩みの知り合いすらいないことが解決しました。

そして数ヶ月後にはスーパーのバイトを始めました(5ヶ月で辞めましたが…)

↓その時のことを語る

第五話(五錠)精神障害者、初めてのバイトで鬼上司
夢の九州までの旅にお金が必要となった精神障害者のヤニドレイ。そこで生まれて初めのバイトを経験するも、最初の難関が待ち受ける。それは鬼のような上司だった…。 #精神障害 #ひとり語り #バイト #ヤニドレイ

嬉しいことはさらに続き。人生で初めての恋人もできました(半年で別れましたが…)

そして、このブログで詳細を書くか悩んでますが、祖父母がいる九州までの約1000キロの自転車旅も実行しました。結果的に完走しました。

退院後、知り合いのいないモヤモヤした感覚は今でも覚えています。

正直、当時は入院中の体験より辛かった記憶があります。

その当時、たまたまロードバイクをいじっていたことが私個人の作業療法として向いていて、ツーリングという運動も兼ねて前向きになれたのではないかと今では思います。


主にこの内容をさらに詳細に過去のNHK障害福祉大賞に応募しました。

結果は落選でしたが今となってみれば、その当時のことを冷静に振り返られて面白かったなと考えてます。ブログのネタの文章になりましたし。



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