普通に見える、統合失調症に見えない

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以下の意見は、私個人の勝手な考えです。 偉そうに伝わるかもしれません。

どうか悪しからずご了承ください。

「統合失調症に見えない」そう言われた時、素直に喜んでいいのかわからない自分がいました。


発言した人は善意で伝えたので、本来これは褒め言葉として受け取っていいでしょう。しかし、私個人の性格がひねくれているので違和感を感じてしまいます。本来なら、「統合失調症に見えない」と言われたら素直に感謝するべきなのでしょうが…。

そうは言っても私自身、多少は常識があるので「ありがとうございます」と伝えます。

そこで怒ったり(ありえないですが)、疑問を伝えたら確実にこの人は病名通りなんだと印象を与えることになるでしょう。

世間一般の統合失調症のイメージは目はうつろでブツブツ独り言を言ってるイメージが強い。事実、私自身も発症前はそうしたイメージを持っていましたし、ほとんどの統合失調症はそういうものだと思っていました。


電車内や街中で奇声をあげ、白い目で見られる人。さらにその行動を心ない人に動画で撮られて拡散し、世間はやはり統合失調症とはこういう人たちなのかと強く思うでしょう。


また、統合失調症の患者自身も健常者がそうした偏見を抱いていると考えいて、自身の病気を打ち明けると今までと違う対応をするのではと不安になり、打ち明けることができない場合があると思います。


私自身も身近な健常者の友人に、「私は統合失調症を患っている」と伝えるのには勇気がいりました。伝えた結果、悪い変化は特に無かったです。


「統合失調症に見えない」と同じニュアンスの「普通に見える」も言われることがあります。
この「普通に見える」の『見える』は「この人は見た目は『普通』だけど、実は中身は『普通』じゃない」とまで相手は思っていると私は深読みしてしまいます。(この深読みは私の病気の統合失調症の症状からくるものではなく、性格によるものなので念のため)


現代の医療では統合失調症は治らない病気なので、健常者に戻ることはできないです。体調が薬やデイケアや福祉施設でのリハビリで回復し、社会復帰して悪化せず安定している状態を寛解と言います。 その寛解状態の人は健常者に、「普通に見える」「精神障害者に見えない」と印象を与えることでしょう。


このテーマを書いているときに、好きな映画の『ジョーカー』のあるシーンを思い出しました。

精神疾患を持つ主人公アーサーはネタ帳にこう書きました。

「心の病を持つものにとって最悪なのは…。世間の目だ。こう訴えてくる。心の病などない…。普通の人のように、してろと」

ここまで思いませんが、そもそも普通ってなんなんでしょうね。



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